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●報得橋【ほうとくばし】
この橋は、始めは木造だったが
台風などで幾度も被害を受けたため
1732年に尚敬王【しょうけいおう】により石橋に
改修された |
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●嘉手志川【かてしがー】
南山王の他魯海【たるみぃ】は、尚巴志王【しょうはしおう】が
持っている金屏風とこの泉を交換した為
人々が離反し滅亡のきっかけになった |
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●嘉手志川【かてしがー】
南山繁栄の基礎となっていた泉で
この地はかつて「水の国」と呼ばれていた
南山王他魯海【たるみぃ】滅亡の
きっかけがこの泉を失ったこととされる |
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●山巓毛【さんてぃんもう】
糸満ローターリーの左手の小高い丘にある。
南山王の他魯海【たるみぃ】が、尚巴志王【しょうはしおう】に
滅ぼされて、自刀して果てた場所。
「糸満ハーレー」の時にここでスタートの 合図の旗が振り下ろされる。 |
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●他魯海の墓【たるみぃーの墓】
南山王の他魯海【たるみぃ】が、尚巴志王【しょうはしおう】に
滅ぼされて、自刀して果てた場所。
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●健二の塔【けんじのとう】
麻文仁ヶ丘の崖下、豪の前に慰霊塔と
3人の青年像が立っている。
ここには、沖縄師範学校の職員と
生徒で結成された鉄血謹皇隊が
祀られている。 |
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●白銀堂【はくぎんどう】
糸満市の氏神で人々が豊漁と航海の
安全を祈る場所である。
旧暦の5月4日の糸満ハーレーの
奉行は、この神社で行われる。 |
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●幸地腹門中墓【こうちばらもんちゅうはか】
破風型といわれる程の大きなお墓。
門中【むんちゅう】とは、墓を共有する父系血縁の一族のこと
300年ほど前に造られ、今では2,500人以上の
遺骨が納められている。 |
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●白梅の塔.
この豪の中からは、生徒達の遺骨が 折り重なるようにして見つかった
白梅隊の戦死者は20名、 塔には病院関係者を含め 127柱が祀られている |
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●具志川城跡【ぐしかわぐすく】
真達勃按司【またふつあじ】の居城といわれている。
潮吹き穴と呼ばれる自然洞があり
風の強い日には、海水を吹き上げる。 |
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●喜屋武岬【きゃんみさき】
本島最南端の岬。
断崖の上に灯台もある。
沖縄戦で追い詰められた住民が
次々と身を投じた場所。 |
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●平和の塔
喜屋武岬の近くにある
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●ひめゆりパーク
098-997-3111
8:30〜18:00
料金850円
琉球石灰岩の城壁にかこまれた、サボテン公園。
高さ10mにもなるジャンボサボテンがそびえる
450種類以上の多肉植物が植栽されている。
サボテンアイスも食べられるよ。 |
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●平和記念公園
х098-997-3011
敷地内には、1府、30県 10団体の慰霊塔・碑をはじめ平和の礎
平和資料館、平和祈念堂などが配置されている
毎年6月23日の慰霊の日には 「沖縄全戦没者追悼式」が開催される |
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●ひめゆりの塔
「ひめゆり部隊」として献身的に活動してた
県立第一高等女学校、沖縄師範学校女子部の
従軍看護婦と、教職員219柱の遺骨が祀られている
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●ひめゆり平和資料館
098-997-2100
9:00〜17:30
入館料\300
館内では、ひめゆり同窓生が 直接見学者へ語りかけることで 沖縄戦の本質を伝えている
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●白梅の塔【糸満市】
この豪の中からは、生徒達の遺骨が 折り重なるようにして見つかった
白梅隊の戦死者は20名、 塔には病院関係者を含め 127柱が祀られている |
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●魂魄の塔【糸満市】
終戦直後ここにアメリカ軍が 収容所を設置した そこにはおびただしい数の
無名戦没者の遺骨が散在していた |
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●南山城跡【なんざんぐすく】/糸満市
14〜15世紀頃の三山分立時代に
栄えていたグスクで、
現在、高嶺小学校の敷地となって
グラウンドと校舎の台地となっている。
本島南部を支配していたとされるが
南山城と歴代王については
諸説はあり、定かではない。
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●名城ビーチ
098-997-2218
入場料大人\450
モクマオウの林が広がっていて 木陰が多数ある 小さい頃はよく行っていたが
最近は、行ったことがないなぁ(^_^;) |
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●米須城跡【こめすぐすく】/糸満市
米須小学校の後ろにあり
東西に延びる丘陵上に
築かれたグスクで
二つの郭に分けられている。 |